大阪家庭裁判所堺支部 昭和44年(家)607号 審判 1969年7月19日
申立人 鎌田一
事件本人 松田太郎
<ほか一名>
主文
申立人を事件本人松田太郎、同松田花子の親権者と定める。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、その理由の要旨は申立人は事件本人等の父であるところ、事件本人等の母である松田ヤヱ子(以下ヤヱ子という)は昭和三〇年三月一八日死亡したので申立人は事件本人等の面倒を一切みることとし、同四四年三月一一日事件本人等を認知したが、その親権者を定める協議をすることができないのでこの際申立人をその親権者に指定する旨の協議に代わる審判を求めるため本申立に及ぶというのである。
よって審案するに、本件記録添付の関係各戸籍謄本、当庁家庭裁判所調査官作成の調査報告書の各記載並びに当裁判所の申立人、事件本人等に対する各審問の結果を綜合すると、(一)申立人は昭和二五年頃にヤヱ子と事実上の婚姻をしたが、申立人の兄弟の反対があって正式に法律上の婚姻ができないまま経過する中両名間に事件本人松田太郎(以下太郎という)が同二六年七月二五日に、同松田花子(以下花子という)が同二八年一二月二二日にそれぞれ出生し、いずれも母ヤヱ子の戸籍に同女の非嫡出子として入籍し、ともに同女の親権に服していたが、事件本人等に対する現実の監護、教育は申立人と親権者である同女の両名においてなされていたところ、同女が同三〇年三月一八日病気で死亡したので、それ以後申立人は太郎をその手許において引続き自ら現実に監護、教育をし、花子は男手で育てにくいので○○○学園(養護施設)に委託し、その期間中度々面会に行ったりしていたが、同児が中学校を卒業すると同時に申立人の許に引取り現実に監護、教育をすることとしたので、現在は申立人と事件本人等の親子三名が同居して平和な家庭生活を営んでいること、(二)申立人がヤヱ子の死亡後である同四四年三月一一日事件本人等を認知したこと、(三)ヤヱ子の死亡後未だ事件本人等の後見人が選任されていないこと、(四)申立人が事件本人等の監護教育者として適当であること、がそれぞれ認められる。
ところで本件は要するに、親権者母死亡後子を認知した父である申立人が、親権者を自己と定めるにつき母と協議をすることができないとして協議に代わる指定審判を求めているのであるが、しかし本件の場合は、未成年者である非嫡出子の親権者母が死亡し親権を行う者がないのであるから、民法第八三八条第一号によって後見が開始するとなすのが通例であって、本件親権者指定には一応問題はある。しかしながら、未成年者の福祉を目的とする制度として民法は先ず第一次的に親権を、次いで後見を規定している趣旨よりするも、また親子の自然の情愛から親権者として子を監護、教育したいという国民感情よりするも、未成年者の監護、教育は未だ後見人が選任されない間は、明らかに法律の規定に反しない限り親権行使に依らしめるを相当と解する。そこでそのような見地から本件のように親権者である母の死亡後に子を認知した父のいる場合につき考えてみるに、先ず民法第八一九条第四項第五項によると、父が認知した子に対する親権は父母の協議で父を親権者と定めることができ、もし協議をすることができないときは協議に代わる審判をすることができることになっている。しかしここにいう「協議をすることができないとき」すなわち協議不能の場合とは、協議の当事者である父と母がともに生存していることを前提とし、生存はしているが所在不明等で協議することができない場合を指すものと解され、従って本件の場合のように父が子を認知したときに母は既に死亡していて、父が協議をするにも対立当事者がなく、協議をする機会も余地もあり得ず、協議は絶対的不能に終始したときは本来上記規定の予定するところではないが、しかしこのような場合にも上記規定を類推適用し「協議をすることができないとき」に当るとして協議に代わる親権者指定の審判ができるものと解するのが相当である。もちろん指定せんとする父がもし親権者として不適当ならば親権者の指定をしないで他に後見人を選任すべきである。
これを本件についてみるに、上記認定事実によれば、本件は、非嫡出子である事件本人等の親権者母ヤヱ子が死亡し、その後に申立人が事件本人等を認知した場合であり、この場合は上記のように上記規定にいう親権者を定めるにつき協議をすることができないときに相当し且つ事件本人等に未だ後見人が選任されていないし、また申立人は現に事件本人等と共に生活して事件本人等を適切に監護、教育しているのであるから、申立人を事件本人等の親権者と定めることを相当と認める。よって本件申立はこれを認容することとし、主文のとおり審判をする。
(家事審判官 白須賀佳男)